和栗卓也のスタッフがお届けしているブログなのに、一切和栗卓也に触れていなかったというのに気がついたスタッフのROUGHLAUGHです。
なんてこった(笑)
ということで、今回は僕がどのようにして和栗卓也のスタッフになったのか、ちょっと経緯とか書いてみます。
そもそも僕が和栗卓也というアーティストに出逢ったのは、(コアなファンの方はもっと早くから知っていたと思うのですが)アルバムの発売前でした。
音楽雑誌「GB」の広告を見たのがきっかけです。
このアルバムの写真を使った1ページ広告。それに思いっきり惹かれて、アルバムを買いに行きました。
買いに行ったのは、大きなCDショップではなかったのですが、ちゃんとあったんですね。
他のアーティストのCDを買いに行った時もどんなにマニアックだろうがちゃんと置いてあって、どうやらこのショップの方と僕の音楽の趣向はぴったりだったんだと気付きました。
そしてCDを聴いて、どハマりした僕はこんなものを作りました。
和栗卓也応援団ペーパー(笑)
これの現物は自分の手元になかったのですが、インターセプトの方に残っていたので、コピーしたのを頂きました。ちょっとした黒歴史です。
まあ、そんな黒歴史は僕がスタッフのひとりとして動いていたもう一人のアーティスト、福田典之さん(現在は活動休止中)でもやったんですけどね(笑)。
福田さんの時は、デビュー後のファンクラブ会報まで手書きで勤めてました。
そして、福田さんの場合も和栗さんの場合も後の活動再開にあたって、サイト制作をする事になり、現在に至るのです。
その時にサイト制作出来るようになってて良かったよな、自分(笑)。
和栗さんは1994年のデビュー後に病気が原因で活動を休止しました。
その時を忘れません。NACK5のゲストで大宮にある公開スタジオに来るというので楽しみにしていました。
でも、急遽それがキャンセルに。
活動休止はショックでたまりませんでした。再デビューはネットで知りました。
それまでにも調べるチャンスはあったのに、いろいろ諦めていたんですね。
もう病気だったし、長い時間も経ったから所属事務所も離れているだろうなんて思い込んでいたのです。
実際そうしていた方も多かったし。
だから事務所も変わっていないとか、凄いなぁなんて思いましたよ。
あの当時はファンでもよほど熱心な方でないと情報をすぐに得るなんて難しかったと思います。
でも再デビューの頃には情報が少しずつ探しやすくなって、今はファンの方にアーティスト側もすぐに情報が発信できるツールが次々出て、便利になったなぁ、なんて感動しております。
そのおかげで情報を得られるアーティストさんがグンと増えましたからね。
僕はそんな風に運良くスタッフのひとりとして、少しではありますがお手伝いをさせていただいてます。
でも僕はあくまで和栗卓也のファンのひとりであるとも思っています。
この感覚を無くしてしまうと、和栗さんの魅力を伝えるためにどうしたらいいのか、なんてことを最も簡単に見失ってしまいそうで怖いのです。
まあ、それ以前に和栗さんの曲や歌が大好きなんですけどね。
そんなわけで、これからもボチボチと頑張りますので、よろしくお願いいたします。
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