12月8日に行われた四谷天窓confortでのライブ「comfort presents - シリウスの光り -」にお越しいただいた皆様、改めてありがとうございました。
今回のライブハウスはグランドピアノの存在感が圧倒的なオシャレな空間。
そして和栗も含め全員がピアノでステージを務めました。
個人的には和栗のグランドピアノを弾く姿をちゃんと見るのは初めてだったので、とても楽しい時間となりました。
写真を撮りながら、ビデオ撮影をしながらのライブ鑑賞に毎回なってしまうのですが、今回はライブもじっくり楽しめたと思います。
ここ最近カメラの扱い方に不安が結構あったのですが、先日ネットで調べまして、予めできる設定などをしておいたのが良かったのでしょう。
自分でも本当に素人すぎる自分に立腹この上ない感じではありますが(;´Д`)
【セットリスト】
1.SERENADE
2.HOLY NIGHT
3.ANDROMEDA
4.この冬に君だけを残して
5.CLOUD SEA(new song)
6.SOMETIME
和栗の最近の楽曲、これも個人的な感想なのですが、曲の中にいい隙間があるんです。
余韻やら思いをめぐらす時間が曲の中にちゃんと存在している。
畳みかけられるような忙しい曲も嫌いではないのですが、歌詞にも曲にもこういういい隙間がある楽曲って、心身ともに落ち着けるんですよね。
その余韻というのをアコギだったり、グランドピアノの震えるような音の広がりが入り込んでくるのを聴きながら、ゾクゾクしておりました(笑)。
和栗卓也の楽曲にグランドピアノってまさにドンピシャリだったと思います。
そんな中で久し振りに聴いた「この冬に君だけを残して」も痺れたわけですが(笑)。
あとこの日共演した3組のアーティストの皆さんのライブも少しずつですが観ることが出来ました。若い世代のアーティスト、ピアノで歌うシンプルなステージ構成の中で、自分の色を模索し、自分の音楽を信じていくその姿に感銘を覚えました。
彼等の音楽について、ここで個人的な感想を書いてもいいのですが、今回は総じて思った事を書いていこうと思います。
これはこれまでにも自分が見てきた数々のアーティストを観てきて思った事なのですが、やっぱりアーティストの奏でる音楽はその人自身を丸裸にしていくものだと思うのです。
メッセージとして伝えたり、ラブソングを歌ったり、その中に自分を覗かせるわけで。
そんな一方で、自分をコンセプチュアルに魅せるために志向を凝らしているアーティストもいます。楽曲の世界観だったり、自分自身の魅せ方を追求しながら音楽をやっていくアーティストさんは結構多くなっているように思います。
僕は最近このコンセプチュアルなタイプのアーティストが迷走しているパターンが多くなっているように思います。
いったい、なぜそんなことが起こるのか。
それは「こう見られたい」という思い発信だからなのかなと思うのです。逆にいうと自分のマイナス面をひた隠しにするパターンだったり、観られたい相手が限定されている場合。
そこには自己分析だったり、自分の内面をより幅広く見つめようという意向がなく、ふたをしてしまう傾向が多いと思うんです。自分で自分に制限をかける事は決して悪い事ではないのですが、結局自分が届けたいメッセージにまで影響を受けてしまっているアーティストもいるんだなぁ~ってのをこの1、2年で感じる事が出てきました。
自分の想いってのをまずは大事にしてほしい。曲が刺さるようなアーティストにもっと出てきてほしい。コンセプトなんてね、楽曲にまで浸透させなくていいと思うんですよ。伝えたいものがあれば。
そんな風に考えるおっさんなのでありました。
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